第2章 大麻利用略史 (王様は裸だ ジャック・ヘラー)
我々は世界に挑戦する。私たちが間違っていると証明してみて欲しい!
あらゆる化石燃料とそれから作られたもの、更には紙や建築用の木材まで、地球を守るため、地球温暖化を防止し、森林破壊を止めるために禁止されたならば、
そうなったら、世界の紙と繊維の大半を供給できる、毎年再生可能な天然資源は一つしか存在しない。世界の全ての運輸、産業界、家庭用エネルギー需要をまかなえ、同時に公害を減らし、土壌を回復し、しかも大気まで清浄化してくれる...
その物質とは、これまで何度も出てきたものと全く同じ大麻...マリファナなのだ!
船と船乗り
90パーセント*の全ての帆(フェニキア人以前、少なくとも紀元前5世紀から蒸気船が発明され、商用化されてからずっと後迄(19世紀中期から後期迄)大麻で作られていた。
*残りの10%は、通例、亜大麻或いはカラムシ、サイザル、ジュート、マニラアサのような主要でない繊維である。
(Abel、Ernest、Marifana: The First 12,000 Years、Plenum Press、1980; Herodotus、Histories、5th Century B.C.; Frazier、Jack、The Marifana Farmers、1972; U.S. Agricultural Index、1916-1982; USDA film、Hemp for Victory、1942.)
「キャンバス」という言葉は(フランス語とラテン語と二度の移動を経た)ギリシャ語単語 "Kannabis."のオランダ語発音だ。*
*Kannabis - (Hellenized) 地中海ギリシャ語化された、ペルシャ語と古代北部セム語に由来するもので(カヌバ、カナボスム、Cana?、カナーフ)学者達は、シュメール語とアッカド語の基礎である、6,000年前のインド-セム-ヨーロッパ語族の曙にまでさかのぼっている。古代シュメール語/バビロニア語 K(a)N(a)B(a)、或いはQ(a)N(a)B(a)は、最も長く保持されている人類の基語の一つだ。1 (KNは籐で、Bは二つを意味する - 二つのアシ或いは両性だ。)
キャンバスの帆に加え、今世紀まで、事実上全ての艤装、錨綱、貨物用網、漁網、旗、覆い、槙肌(海水から船を保護する主なもので、梁の隙間や、若い梁の間の詰め物として使われた)は、マリファナ植物の茎から作られていた。
船員の服から、船員の、ロープ底で(時に)「キャンバス製」の靴の縫い目に至るまで、ことごとく大麻で作られていた。*
*16、17、18、或いは19世紀の平均的な貨物船、高速帆船、捕鯨船、或いは海軍の戦列艦は、帆、網等は言うまでもなく、50から100トンの大麻で艤装しており、塩害による腐食のため、毎年あるいは二年毎に、その全てを交換する必要があった。(アメリカ合衆国海軍兵学校、或いはボストン港の米国軍艦コンスティテューション、別名「オールド・アイアンサイド(=老装甲艦)」の構造参照)
(Abel、Ernest、Marifana、The First 12,000 Years、Plenum Press、1980; Ency. Brittanica; Magoun、Alexander、The Frigate Constitution、1928; USDA film Hemp for Victory、1942.)
更に、船の海図、地図、日誌、そして聖書も、西欧/アメリカ世界ではコロンブス(15世紀)の時代から1900年代初期まで、大麻繊維を含む紙から作られており、中国人の場合は1世紀以降そうだった。大麻の紙は大半のパピルス処方の50から100倍長持ちし、製造もコストも100倍楽で、安かった。
信じがたいことに、大麻製の帆、ロープなどの方が、船の木造部の建設よりも費用がかかったのだ。
海での大麻使用は禁じられていなかった...
織物と布地
1820年代までアメリカでは(また、世界の大半では20世紀まで)、衣服、テント、ベッドのシーツやリンネル、* ぼろ、掛け布、キルト、タオル、おしめ、等々に用いられたあらゆる織物と繊維の80%、更に国旗「星条旗」さえ、主として大麻繊維で作られていた。
何千年とは言わずとも、何百年もの間(1830年代まで)、アイルランドは最高のリンネルを、イタリアは世界最高の服地用生地を、大麻から作っていた。
*1893-1910年版のエンサイクロペディア・ブリタニカと、1938年、ポピュラー・メカニックス誌では、リンネルと呼ばれていた生地の少なくとも半分は、亜麻ではなく、大麻だったと推定している。 ヘロドトス(c. 450 B.C.)は、トラキア人が作る大麻の衣服は繊細さの点でリンネルと同等であり、「極めて経験がある人でないと、大麻か亜麻か識別はできない」と述べている。
こうした事実はほとんど忘れ去られてしまったが、大麻が木綿より柔らかいこと、木綿より良く水を吸収すること、木綿の三倍の引っ張り強度があり、木綿より何倍も長持ちすることを我々の先祖は良く知っていた。
実際、愛国的な本物、現代の名門「アメリカ革命の娘達」の母親達、ボストンとニューイングランドのDARは、ワシントンの兵士の軍服を作るため、1776年「spinning bees=紡ぎ蜂」を組織し、大半の糸が大麻繊維から紡がれた。歴史的に忘れ去られ(或いは検閲された)今や貶められているマリファナ植物無かりせば、大陸軍はペンシルバニアのバレー・フォージで凍死していたろう。
共和国の初期経済では、大麻の一般的利用は、アメリカ合衆国初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンが、思考する時間をかけるほど重要で、1790年代の財務通知で、彼は「亜麻と大麻: これらの製造業者はお互いに非常に密接な関係にあり、往々にして混じり合っており、両方は一緒と見なすほうが良い。帆布は10%の税であるべきだ...」と述べている。
(Herndon、G.M.、Hemp in Colonial Virginia、1963; DAR histories; Able Ernest、Marifana、First 12,000 Years; 1985の映画 Revolution with Al Pacinoも参照のこと.)
..幌馬車は丈夫な大麻キャンバス防水シートに覆われて西へと向かい(ケンタッキー、インディアナ、イリノイ、オレゴン、そしてカリフォルニアへ*)2、一方、船は大麻の帆と綱を使い、「ホーン岬」を巡り、サンフランシスコへと帆走した。
*頑丈で有名なLeviの最初のジーンズは、カリフォルニアの1849年ゴールドラッシュでやってきた連中用に、大麻製の帆布とリベットで作られた。こうすれば、沈殿物から選鉱鍋で取り出した黄金で一杯になっても、ポケットは破れないのだった。3
手織り布は、世界中の人々によって「家庭用大麻耕地」で栽培した繊維からほとんど常に織られ続けてきた。アメリカでは、この伝統は最初の移住者達(1620年代)から1930年代の大麻禁止まで続いた。*
*1930年代、連邦麻薬局は議会に、多数のポーランド系アメリカ人は、裏庭で、冬の「ももひき」や 作業衣を作るため、依然として大麻を栽培しており、翌年の衣服を盗もうとする連中である麻薬局職員に対しては散弾銃で応じる、と報告している。
大麻畑の古さと密度が繊維の品質に影響する。農家が柔らかいリンネルのような繊維が欲しい場合には大麻を密集して植える。
経験的法則として、医療あるいは娯楽用に植える場合には、5平方ヤードに一粒種を植える。種をとる為に植える場合には、4から5フィート離す。
(Univ. of Kentucky Agricultural. Ext. leaflet、March 1943.)
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